地元資料が伝える戦争 記憶宿す“モノ”の力実感 戦後79年と風船爆弾 一宮 【回顧2024 取材メモから】

一宮町に残る太平洋戦争の資料=8月、同町
一宮町に残る太平洋戦争の資料=8月、同町

 戦後79年の今年、一宮町教委が所蔵する太平洋戦争の資料を紙面で紹介した。戦時下の日誌や、町内から打ち上げられた風船爆弾の気球部分とされる断片などだ。物言わぬこれらの資料は、戦争に巻き込まれた郷土の姿を生々しく今に伝えていた。

 「通知ニヨリ燈火管制ヲ解カル 尚警防団本部ノ勤務モ同時ニ終了」。見せてもらった資料は、戦争末期の1945年5~8月の警防団による防空監視の日誌。警報の発令状況などを事細かく記した冊子は、8月20日のこの記載で終わっていた。

 他は黒字なのに対し、最後の文章だけは赤字で文字も大きかった。戦争が終わり、空襲への警戒が解かれた日。記入者は、どんな思いでペンを走らせたのだろうか。

 空襲による大きな被害はなかったとされる一宮町。それでも日誌には「小型機数 十機」「空襲警報発令」などの記載が見えた。同様の資料は各地にあるだろうが、実物を間近で見ると、戦争に翻弄(ほんろう)された人々の姿が浮かんだ。

 町教委に ・・・

【残り 9624文字】



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