2025年2月22日 05:00 | 有料記事

旧問屋通りの川西通り
関西漁民によるイワシ漁業と魚肥・干鰯(ほしか)の加工生産は、需要の増加とともに伊豆国や相模国三浦沿岸から房総半島に波及し、さらに常陸国、陸奥国にかけて次第に広がっていきました。
江戸時代当初の関西漁民は漁具や納屋集落における生活用具一式を積んで春季に関東沿岸に来航し、秋季に生産した魚肥も積み込んで帰国しました。しかし、魚肥の生産が増えるにつけ輸送・販売を分離して関東と関西を結ぶ物流拠点の必要に迫られました。
そこで、江戸内湾の漁村に近く、外房沿岸からの輸送にも便利な浦賀水道を望む「 ・・・
【残り 873文字】


