
千葉県の各地に甚大な被害をもたらした房総半島台風(台風15号)から、まもなく3年を迎える。特に被害の大きかった安房地域では、長期間にわたる停電や断水、ガソリンを求める長蛇の列、復旧作業などで、のどかな風景が一変した。まちが混乱に陥る中、停電した館山市内の産婦人科医院では、今にも新たな命が誕生しようとしていた。自由に電力が使えない状況下で出産するという壮絶な体験をどう乗り越えたのか。多くの支えを受け、無事に次男の海里くん(2)を産んだ母親の鈴木里穂さん(29)は、あの日の出来事を今でもはっきりと覚えている。
(館山・鴨川支局 飽本瑛大)
▽閉めた窓から雨水
台風15号が県内に向かって北上を続けていた2019年9月8日夕、鈴木さんは鋸南町の実家で破水のような症状に気付いた。「今家を出ないと、病院にたどり着けなくなる可能性がある。間違いだった(破水じゃなかった)としても、今行くしかないよ」。父親に諭され、夕ご飯を食べ終わった午後7時ごろ、同市の産婦人科「清川医院」に向かった。
「これは破水だね」と告げられ、そのまま入院することに。日付が変わろうとしていた深夜、一息つく間もなく、「感じたことのない強風と大雨」(鈴木さん)に見舞われた。
部屋の窓際に寝ていたが、窓が閉まっていたのに雨水が入ってきて、布団や床がぬれた。外からは寝られないぐらいの風の音―。
「ただ事ではないな」。程なくして、病院内で停電が発生した。すぐ電気は付くだろうと思ったが、いつまでたっても部屋の明かりは戻らない。冷房も効かず、病室のドアを開放したり、うちわをあおいだりしながら、寝苦しい夜を過ごした。
▽自分で胎動感じて
夜が明けても電気は復旧せず、陣痛も一向に始まらなかった。
「(病院に)来られない看護師がいる」「信号が動いていないみたい」。周囲がざわつく様子を見て、なんとなく被害の様子が分かってきた。が、停電の影響などによる通信障害で携帯の電波が入らず、詳しい情報はつかめない。
陣痛よりも先に破水が起こったため、前日に病院からは「24時間以内に陣痛が来なければ、(陣痛)促進剤を打ちます」と説明されていた。が、この日告げられたのは「機械が使えず、促進剤が打てないから、自然分娩しかない。このまま陣痛を待ちます」。胎児の心拍数の変動を確認する「心拍数モニター」も使えなくなった。医師からは紙とペンを手渡された。「自分で胎動を感じて。陣痛の一歩手前の痛みが来たら、メモを取ってね」
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